システムの内と外
この週末は連ちゃんで二十代の若者との交流。土曜は元塾生の女子大生と飲み会。しばらく心に悶々としていた想いを聞いてもらい(聞いてもらうと頭が整理出来る)、考えを整理した。と言っても話は哲学から仕事、ホラー小説、恋愛(相談ではない)、相変わらずバラバラ。そこで、整理した悶々(自分が時代に取り残されている、或いは浮いている)という感覚の根源にあるのが、私が社会システムに対して、幻だ、というか方便だという思いとそれがどうも周りの人々には見えていないっぽいというギャップに対する苦悩である事が判明した。例えば、TVで騒がれている「就活」(今は婚活まである!)って、私の若い頃にはあった記憶がない。これは当然、広告代理店が間に入って、新人をほしい会社と就職したい学生をつき合わせて、それで広告料を取っているというれっきとしたビジネスであり、言わば人為的なシステムである。しなければならないものでは全くない。それがあたかも大学三回生になれば誰もがするのが当然のように思い込み、それこそ身分違いの面接をやたら受けまくって挙句就職出来ずにフリーターって、何か本末転倒というか、要するに「単に流されるだけやん!」と私は思うのである。私がマスコミなど要らないというのは、マスコミによって、生み出された、或いは駆り立てられた欲望など、ほぼ100%人間が生きるのに不要な欲望ばかりだから言うのである。知らなくったって生きていけるし、知れば知るほど不幸になる、ある種の情報があるという事に気づけよ、という事だ。この作られた社会システムを当たり前に思い込むと、そのシステムの外にこそ人間の“生”がある事に人は気付かなくなる。そしてシステムの中で右往左往しつつ無意味な不安や倦怠、無駄な足掻き、いわゆる現代人特有の心理的症状が発生する。
これはここ数年の自分の悶々を相当スッキリ解決してくれる論理で、今頭の仲で、もう一度再構成しつつ、課題である「どうして日本はこうなったのか」に対する答えを模索段階に入っている。うつ病や軽い精神疾患、新興宗教への帰依、皆ここに原因がある。私にとって大発見だった。また一つ、自分が成長したようなヘンな気分だ。
翌日曜日。バンドのベーシストがCD作るという事で、その準備物を渡すついでに彼が出演しているコンサートにお邪魔した。嗚呼、若いって良いなぁ。まだ、システムの中に入る前っていうのがどれほど貴重な時間であるか、今の私には分かる。人生は金じゃない。幸せは量ではない。本当に好きなモノとの出会いこそが、きっと“愛”という感情の根源なのだ。そして、根源に触れるために今日も私は膨大な日常的事務作業に励むことになる。