これも、哲学や!
いよいよ、2月決戦の時が近付いてきた。塾にとっては、この1ヶ月が正に正念場である。授業での感触は悪くないが、いやいや最後は必ずメンタルな戦いになる、それこそが本番の醍醐味なんだ。ピリピリと鳥肌の立つこの緊張感!ここがロドスなのだ。李に続け。
ところで、私は自分専用名刺では肩書きはいまだ「哲人(鉄人ではない)」としている、まぁ自分流に言うと哲学徒である。それも哲学者や哲学書に興味があって哲学を目指したのではなく、勝手に哲学的思考をするようになっていったという生粋の哲学徒である。最近、西研氏の「これが哲学」を読んで、とても面白かった。哲学とは、私流に言うと、「人生を納得して生き抜く生き方」学とでも言うもの。仕事も趣味も哲学とは関係のない世界で生きているので、論争する場もないし、普遍性を確かめる手段も今はないので、ただただ自分の納得のためだけに勉強している。例えば、「人にとって必要なことは煎じ詰めれば、誰かに受け入れられていると思えることと、自分が誰かによい影響を与えていると思えることである」。「幸せ」とは、つまりそれだけのことだ、と。この「煎じ詰めれば」の語句の中に五年、十年の思索の跡が伺えるのである。人は‘自分自身の物語を紡ぐ生き物’である。どんな物語を紡ぐかは、まさに自由なのだ。そして、その紡ぎ様を左右するのがハイデガー流に言うと、「気分」。しかし、人間はその気分をも「知識」によってコントロールする事が出来る。だから、私は皆に勉強しろ、と言う。それも、生きる事に肯定的になるために。人生が未来への希望に満ち溢れている時に「閉塞した気分」になる方が難しい。そのためにこそ「教育」なのである。私はオタクも大好きだが、閉鎖的な人間だけは嫌いだ。その危険、私の言葉では「感受性の鈍磨(鈍くなる事)」を避けるためにも、私には音楽が必要なのだ。「死すべき運命のヒト」が生きている間だけでも如何に楽しく日々を生きられるか、それが私にとっての哲学の最終課題だと思う。お勧め。