「逆説」シリーズを全部文庫で読んでしまい、次の文庫化までまだ時間が掛かりそうなので、久しぶりに読んだ。TVのニュースを見ていても平常心で見れる物がほとんどなくって、以前に書いたように自虐報道、偏向報道が目についてしょうがない。元を糾せば行き着く所は「歴史認識」の問題になり、その意味で彼の「逆説」シリーズはやはり凄いと思っている。
例えば、新型インフルエンザ感染の集団ヒステリー状態は一体今から思うと何だったんだろう?それこそTV画面に映る通勤列車とかで全員がマスクを付けていた。あれは‘異様’で‘ヒステリー’としか言いようがない。その上、それを「ヒステリー」と言った人(誰だっけ?沢尻エリカの旦那だったかな?)に皮肉なコメントを載せている評論家までいた。全く良識を疑う。
ただ、49歳にもなると、「だから日本はイヤだ!」という風に思考は向かわない。詰まる所、これが「日本人の民族性」なのだ。戦前の「戦争ムード」も然り、戦後の「平和主義」も然り、どれも感情的で、現実に立脚した‘思想’なんてありゃしない。私がその民族性に最初に気付いたのは、「学園紛争」の問題。今ではこれも一種の集団ヒステリーだったと言っても差し支えないと思うが、あの騒動を(自分なりに)総括した結論(と言っても私は安保世代ではないが)は「結局の所は‘あれ’は祭りだったのだ。‘革命’という名の神輿を担いでいただけで、おそらく本気で歴史を変えようとしていた人などいなかったのではなかろうか」という事であった。そして、それが分かって以来、団塊の世代に対する物の見方も全く変わってしまった。そう、憧れの対象から純和風の人々へ。まさにオイディプス王の如く、自分が最も忌み嫌う者になっていくという忌まわしい運命を担った人々へ。
私もまた純和風である。ただ、自覚している分だけ、他者と見方が違うように見えるだけである。そして、この‘自覚’こそが、今も昔も「哲学的営み」にあっては必須なのである。