草なぎ騒動の教訓;社会の寛大度
何とか草なぎ剛氏も不起訴が確定したようで、一段落しそうである。私が今回の一連の事件その他について思った事を書く。
まず、草なぎ氏についての一般の同情意見が90%を越えている事に関しては非常に安心すると同時に日本でもやはりまだコモンセンスの力は十分に残っている事が判明した。決して日本は腐ってはいない。何度も書くが、酔っ払って裸で騒いで警察沙汰というか公然わいせつ罪だ、と騒ぐのは人間的に異常なことだという、至って真っ当な常識を皆で確認したという事か。
それに反して、「人間のクズ」発言は改めて日本の政治家の質の低さを明らかにもした。酩酊状態の中川氏の問題も含めて、おそらく今の政治家は我々国民の常識をおそらく共有していないと感じざるを得ない。その後の発言撤回もその内容を聞くと、おそらく自分の発言に関する何がどう問題なのか、判っていないと思われる。本当にヒドイ話だ。
そして、もう一つはマスコミ。視聴率ほしさにどうでも良い事を騒ぐというその低俗な本性を如何なく発揮していた。マスコミもまた我々国民の常識とは明らかにずれている。
今回の騒動は日本社会の許容度を試す良い事件だったと思う。道にはずれたり、度を越したり、ミスを犯したり…。人間は日々そうした中で成長していくものなのだ。失敗を許さない社会に発展はない。そういった社会の寛大さに関して、政治とマスコミが敵対している事が、はっきりとしたのである。
何とも困った事である。