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2009年01月 アーカイブ

2009年01月06日

燃えよ、剣!

“三谷”新撰組を見て以来、実は新撰組が好きだ。たまたま三が日休みだったので、読んでみようと思って、読んでいる。昔は新撰組なんぞただの反動勢力だ、ぐらいにしか思っていなかったが、その後の日本の歴史、特に昭和を考えるに当たって、結局明治維新は正しかったのかという疑念が自分の中に浮かぶほどに、存外彼らの生き方の方が日本人には合っているんじゃないか、みたいな気になってきて、「もう一つの」明治維新を自分でも考えている。この歴史上の名作中の名作、まだ半分なので全部読んでから小説の感想は書こう。でも、読んでるとどうしても山本耕史が頭に浮かんでくるよなぁ。2009年年始を飾るにふさわしい作品だ。今年もきっと波乱なんだろうなぁ。

2009年01月10日

燃えよ剣;後編

「燃えよ剣~後編」土方カッコ良い!忘れかけていた“男の美学”を思い出させてくれる。亡父が戦争について一言だけ私に言い残した事があって、それはこうだった。「貴之、今度(戦争)やったら、絶対(アメリカに)勝ってやる」父は無学な男だったけれども間違いなく“漢(おとこ)”であった。かつて戦後日本男子はアメリカに去勢されたみたいな話を読んだ事があるが、どうだろう、私には本気でそんな気がしてくる。皆なぜそんなに「成功」を求めるのだろう?一人の人間が成し遂げられる“成功”や“繁栄”や“愛”、
“野望”などたかがしれているではないか。どうして身の丈に合った人生の中に“美”を求めないのだろう。
「男の一生というものは自分の美しさを作るためのものだ。そう信じている」
土方が沖田に向かって言った言葉である。
私は自分の育った会社を新撰組に見立てて読んだ。倒産が分かっていても最後までい続け、戦々恐々としていた日々。会社の土地が銀行に差し押さえられ、人知れず競売に掛かっている事を知らされた日々。それを乗り越えると、結局仕事って金儲けじゃないという一種、達観した心境に至る。途中で辞めていった者は、失敗しなかったのは確かだが、そのために何か大きなモノを失っていったんだろう。
時流に乗るな、節義に生きよ。目覚めよ、男たちよ。土方の声が地下から聞こえてきそうである。

2009年01月12日

世代交代の新年会

昨夜は久しぶりに新年会。社員一同との楽しい歓談の場が持てた。我が塾も今や半数が女子、半数が20歳代と開塾当初とは随分顔ぶれも変わり、明るく元気な雰囲気の塾になってきた。毎年の恒例で夫々の今年の抱負・目標を言ってもらうんだが、全体的に塾講師にふさわしく(?)非常に前向き、勉強熱心である。それもまた楽しい。こういう時代だからこそ、積極的な自己投資を怠らず、何かにつけ勉学に励むのが基本だと考える私なので本当に楽しかった。それにしても、今や私も齢四十九歳、さすがに皆と世代が違うなぁと実感しだした(遅いか?)。話題の一々が真新しいと同時に青臭い。まぁ、若い内はそれはそれで試行錯誤の毎日だと思うが、頑張ってくれ。私は私でそれどころではないので悪しからず。

2009年01月15日

信長の教えてくれるもの

ご存知逆説シリーズもやっと数ヶ月掛かりで信長まで来た。例によって様々なこれまでの通説を批判しながら歴史の真実を推理するその手法は素晴らしい。ほとんど一気読みした。特に現代日本人の宗教オンチの原因が信長の宗教政策に由来するというのは、実に面白い、言われてみれば全くその通りである。私はこの逆説シリーズを読んで、改めて歴史上の多くの英雄達(頼朝にせよ、義経にせよ、信長にせよ)の事跡ってスゴイ!という感嘆を禁じえない。それにしてもどうして、現代日本人はこれほど歴史嫌いの民族になってしまったのか?当然その背景には歴史学&教育の問題が孕んでいる。例えばこういう視点はどうか。
歴史を学ぶと、“人”の社会的な側面が如何に他人に影響を及ぼすのかを考えさせられる。人間は自分としての「個人」であると同時に必ず(その人が好むと好まざるとに関わらず)社会的動物である。問題はこのバランスだ。このバランス調整を曲がりなりにも自力で出来る事を我々は“一人前”という。しかし、そのためには年齢のみならず一般的な常識の他にも政治・経済的な常識から歴史・社会的な常識まで実に多くの知識(いわゆる教養)が必要になるだろう。それを二十歳以上の全国民に強いる社会を「民主主義」と呼ぶ。当然そう言われても…と大半の人々は感じるはずだ。実際、私が今言った意味で人が一人前になるのは、自身の経験に照らし合わせても少なくとも三十台、下手すると四十台という事になるだろう。
ひたすらに金儲けや長生き(つまり“命”)だけを賞賛する社会は異常であり、また幼稚である。人間であるならば「何のために」生きるのか、「どのように」金を使うか、それこそが問題の核心であって、稼ぐ事自体、長生きする事自体には実は何の意味もない。これは「夢」という言葉にも通じる。「億万長者になりたい」という夢は例えれば「二百歳まで生きたい」とか「身長が三メートルになりたい」というのと同じく意味のない、つまり中身のない夢なのだ。それが“意味がない”というのがお分かりだろうか?もしも分からないのならこのブログを読まなくても良い。おそらくあなたは私とは違う人種なのだ。

2009年01月16日

明日はセンター試験本番だ!

明日は大学入試センター試験本番。いよいよ、入試シーズン突入である。毎年の事ではあるが、それでも緊張する。本番独特の緊張感。焦ったり、慌てるのは禁物。「平常心」であれ。ただ、言うは易く行うは難し。実際昨今の入試では国公立受験組というのは本当にほんの一握りの生徒だけのもので、大半は私大に流れる(受ける人数ではない。実際受かりそうな人数は実受験数の半分程度だと思うので)。センター試験の形式自体、なかなか曲者で、マークシートで簡単そうでありながら、なかなかどうして、結構高得点を取るのは難しい。ミスするなよ。とにかく「平常心」であれ。気構え、精神力のレベルで勝負はだいたい決まってしまう。ああ、この緊張感、これが人生や。

2009年01月17日

走るゾンビ!…28週後

久しぶりのホラー映画。感染症のウィルスに冒されると狂暴になり、人間を襲う。そのウィルスによって壊滅したイギリスのお話。内容はこのテの映画によくあるパターンとして実に絶望的。気が滅入る。しかし、ホラー映画としてはよく出来ている。走るゾンビから逃げるべくとにかく登場人物皆走りまくる。見ていてもハラハラドキドキの連続。年末には新作ホラーDVDが結構出たが、まだ一週間レンタルになっていないため、しばらく映画見るのはお休み状態だった。ところで、この映画のテーマは何かというと、…愛の愚かさか?「愛」ゆえに人類が滅亡の危機に陥る。これもどこかの国のように「あこがれの愛」しか語れない幼稚な国と違って、実にリアルで胸に来るものがある。

2009年01月18日

魔がさすとは?

こういう犯罪ノンフィクションも嫌いではない。新潮45で連載のシリーズの文庫本化。結構一気に読んだ。人間のおぞましさ、業、欲望、ゆがめられた世界観。歴史の残り英雄達の超人的な能力に比してこちらもある意味では超人的な黒い能力。周りの人々を騙し続けながら、保険金殺人と恐喝を繰り返す九州の“カマキリママ”の事件や「民生委員」を隠れ蓑にした殺人事件などが印象に残った。どこまで人は他者に対して残虐になれるのか?答えは当然、「どこまでも」である。そのための保守主義、そのための理性(欲望をコントロールするものとしての)のはずだ。とすると、結局やはり人ー地球を救うのは、「愛」などではなく「知性」だという事になる。みんなもっと学習能力を高めようぜ!

2009年01月21日

幕府の思惑とは?

この逆説シリーズもいよいよ江戸時代~近世に入ってきた、と言っても歴史の一貫した流れからすればあくまでも武士政権の時代の続き。このシリーズを読むと、つくづく“日本人”というものが古代からその心性を変えていない事を感じる。さて、この巻では徳川幕府の始まりに関する内容。特に家康の幕府の土台作りに関して、あるいは関が原に関して面白かった。私自身はあまり好きな人ではないが、いわゆる努力の人だったんだろう。ただ、何と言っても最大の成功原因は長生きであったこと、これに尽きるなぁ。

2009年01月24日

こりゃヒドい;人間狩り

久しぶりのZ級ホラー映画。ほとんど見るべきものが何もない。90分程度の尺の中で一応映画的に見ていられるのは約30分、つまりテレビの変ちくりんなホラー番組程度の内容を3倍に引き伸ばして見せられるのだから堪らない。恐怖を煽るつもりの小道具が蜘蛛の巣と夕焼け(それも綺麗過ぎる!)だけ。惨劇の伏線も地面から生えている手だけ(死体を埋めて手だけ出ているシチュエーション自体おかしいだろう!どんな犯人だったんだ!)という安易さで惨劇が起こり、惨劇そのものもオチがないため見終わっても何も残らない。カメラワークが「ブレアウィッチ」っぽいのが売りのつもりなんだろうが、それにしても展開(いわゆる脚本)がつまらない事をカバー出来るわけがない。僕が作る方が絶対面白くする自信がある、そう思わせる映画だった。

2009年01月26日

人生good times bad times

様々な局面で様々な展開があった一週間だった。センター試験が終了し、悲喜こもごも、二週間にまたがった大きな仕事をやっと済ませ、言っている間に今度は中学生の受験直前。中学受験生には面談をやり、まぁ色々忙しかった。その間、ライブ準備にギター練習をスタートさせ、昨夜はマルチエフェクターで音作り。
合間合間に読んでいるのが、「哲学的思考」現象学の入門書である。学生時代はこれでも哲学徒だった私はいまだにヘーゲルやフッサール辺りの卒論に書いた哲学者についての本は時々読みたくなる。なまった頭には良い柔軟運動である。中身は恐ろしく難しい。所謂「主客問題のアポリア」について現象学は如何に対応したか。昨日は現象学的(超越論的)還元に関する件を十年ぶりくらいに読んだ。まぁ、凄い世界である。
ところで、世間は不況の一色である。派遣村も良いし、転職も良い。ただ、自分の人生はたった一回しかない。歴史の大きな流れとは別個に今日もメシを食わなければ人は生きていけないし、どんなにつまらない事でも生きがいを持たねば生きているエネルギー自体がいつかは枯渇してくる。かつてケネディが言った言葉を使うと、あまり国や公共政策をあてにしない方が良いと思う。所詮他人だし。何だか、今の日本にしろ世界にしろ、個人の自律の価値を軽視する傾向がありはしないか、もちろん、自律力を弱めるような政策が今まで取られてきたという前提での話だけれど。
昨日久しぶりに町に出てみると、学生がデモをやっていた。(後で知った所によると留学生達が円高で生活が苦しくなってだそうだ)私は決して強者ではないし、人生の成功者でもない市井の一般市民でしかないが、ああして団体を組んで何かを誰かに訴えるという神経が理解できない。どこまで行っても私の問題は私のものではないか。何を他人と共有出来るというのか。もちろん、私が最も忌み嫌うのはそういった貧しい留学生をそそのかす日本人学生なんだが。「自分のことぐらい自分でしろよ、大学生にもなったんだから。それが日本の流儀だ」ぐらい言ってやれよ。

2009年01月27日

歴史の重みと人命の軽さ

たまたま衛星TVでやっていたのを見た。途中からだったが、止められなくなって最後まで見てしまった。ナチス・ドイツ崩壊の12日間のドラマ。それでも、希望を捨てないヤツ、自暴自棄になるヤツ、真面目なヤツ、忠実なヤツ、紳士なヤツ、国が滅びるという状況の中で如何に人が生きるのか、凄い映画である。僕だったらどうするだろう?あなただったらどうする?悲惨な現実の合間に一服の煙草が生きがいを思いださせてくれる瞬間がある。人はそれをして「人生とは…」と物思いに耽る、とは限らないのだ。現実のこの無機質な感覚。何かと敵役になるヒトラーやゲッペルス(もちろん、僕も嫌いだ)だが、最期を悟った時にそれまで愛人だったエバ・ブラウンと地下で結婚式を挙げる。何という悲しい心遣いなんだろう!そして月並みだが、ほんの数十年前にあった戦争とその後の平和、復興。やはり人はカタストロフを求めているのだろうか?そういった意味でも何だかやり切れなくなって来る。前日見た映画とえらい違いだ。
一つはっきりしている事は命は決して地球よりも重くなどないという事実だ。この現実の前では一切の人道が茶番に見える。良い映画だ。お勧め。

2009年01月30日

やっぱり現象学!

やっと、西研氏の「哲学的思考」を読破した。全体を通して非常に面白くためになる。フッサール現象学を見事に自分の言葉で説明しているさまは竹田青嗣に通じる。何度も何度も現象学関係の本は読んでいるが、つくづくすべての問題の核心はフッサールの悪文に起因すると感じる。まぁ、それに余りある大きな功績を哲学界に残したの事実だが。
西氏の問題意識である「実存的世界」と「客観的世界」の分裂の克服は、非常によく理解できる。若い頃の哲学熱を呼び覚まされた感じである。そして、ついでに仕事が落ち着いてくれば早い段階で大学に聴講生という資格で通い直そうか、と考えている。私にとって“哲学”は、どうやら勉強の対象ではなく、自分の一部のようである。そう言った事も教えられた本であった。お勧め。(でも、難しいよ)

2009年01月31日

無理やりなサスペンス;フライトプラン

多くのアマゾン・カスタマーズレビューに書かれているが、前半のサスペンスと後半の尻すぼみどうもまとまりが悪い。子ども誘拐に関しては突っ込み所満載。普通にハイジャックする方が余程簡単だと思われるほど手が込んでいる。それでもって、結局犯人のハイジャックは成功したの?だいたいあの程度で4000万ドルのお金を出すか?ジュディ・フォスターの演技は悪くないが、これもどうもやり過ぎ。やや狂気の世界に入りかけてる。まぁ、最後まで一気に見せるという意味ではまずまずの映画ということなんだろうか。

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