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2008年07月 アーカイブ

2008年07月01日

「昼下りの情事」最高!

オードリ・ヘップバーンと言えば何と言っても「ローマの休日」だが、私の中では彼女の魅力が最大限に出ているのはこれではないかと思う。たまたま昨夜BS2でやっていたので見てしまった。ゲイリー・クーパーの大富豪も格好良いし、楽団が行く所行く所に付いて来るのが、何ともおしゃれ。そして、ビリー・ワイルダー監督(「アパートの鍵貸します」も名作!)のユーモア溢れる演出が実に素晴らしい。ラストの駅の場面は何度見ても泣けてくる。当時の観客だったら拍手喝采を送る場面である。老いらくの恋をテーマにしては私は「エントラップメント」のショーン・コネリーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズを思い出すが、こちらも捨て難い。男は上品に年を取るのが、一番という事か。

2008年07月02日

読みたい!

日曜に面白そうな本を買い込んで帰って来たが、気が付いてみると時間を気にせずに本を読む時間など全くない。毎日睡魔と闘いながら、数㌻ずつ読み進むのがやっとといった感じ。それでも、何とかかんとか読みきりかけているのが、これ。作者はザ・中学教師の一員。内容はまずまず。特に第2章の教育評論家批判が非常に面白い。読んでいると、(例えば、和田秀樹や上野千鶴子、水谷修、その他)みんな大したことないなぁ、という感じ。当たり前と言えば当たり前だが、教育というのは、自分の立ち位置によって、全く現象が異なる。学校にいるか、予備校にいるか、フリースクールにいるか、大学にいるか、自分の立場によって、或る面は解決しても或る面は解決しない。もしも、全般的に物を言いたいなら、これは学校教師に勝てる訳がないではないか?どうしても、門外漢が批評出来ると思うのか、それが不思議である。実際、作者の各論者への批判は的確で妥当だ。だが、それにしても私は全体的には私は作者に不満が残る。それは、結局学校教師という立ち位置の限界を感じるからだ。作者も言うように70年代以降社会全体が変化してきたのは分かるが、塾講師の立場で言うと、生徒ー教師関係は30年ほぼ変化していない。生徒を見ていると、学校に対するスタンスみたいなものは大きく変わったように見える。何度も言うように、公教育というのは、教育機関というより社会福祉の一環であり、その感覚が徐々に広がっているのではないかという印象を私は持っている。
まぁ、ただそれにしても現場の先生が如何に大変であるかは想像に難くない。私は通信制高校で不登校児の受け入れもしているが、本当に心から思う。もっと、社会全体が“先生”というものに敬意を払うべきだと思うし、先生は払われるに価する努力をするべきだと思うんだが、きっともう無理なんだろうなぁ。社会全体の方向性としては。年金に代表される社会福祉制度は間違いなく崩壊する。我々の年金はただひたすら官僚の天下り先を確保するために大量に消費されてしまった。もう、崩壊を先送りするしか手がない。教育問題に関しても同じように感じる。だが、各生徒個人の一度限りの人生には罪はない。私が塾講師を天命と感じるのはそういう瞬間である。
銀行の方に「今の教育問題についてどう思いますか」と聞かれたことがある。私の答えはこうだ。「どうも思いません。どんなに改革されても一人ひとりの生徒の悩みはなくならないのです。私の仕事はそれを勉強を通じて解決する力を身につけさせることであって、批評や評論ではありませんから。」

2008年07月03日

夏の準備と今日この頃

そろそろ夏。塾では夏期講習会準備と近隣高校のテスト対策で毎日大忙しである。塾そのものはもう一ヶ月は休日返上で開けている状態。疲れて昨日早目に帰ったら米倉涼子のドラマ「モンスター・ペアレント」をやっていてまた不機嫌に。深夜になって終わりかけていた「オレ様化する~」を最後まで読んで、次の本に。
大きな思考枠組み自体が揺らいでいる時代を予感する。私の教育に対する態度をここでもう一度確認しておく。
公教育と言うのは、社会福祉事業の一環であって、所謂教育活動ではない。それは私学や塾と比べるものではなく、社保庁とこそ比べるべきものである。元来、「教育」には二つの側面(人格陶冶と知育訓練)があるが、人格陶冶を旨とした教育など古来存在していない。すべて、知育訓練を通じてなされてきたものである。また、公教育の歴史は人間の教育史においては決定的新参者であり、おそらく私学私塾の半分以下の歴史しかない。(実際、義務教育が国民全体に浸透したのは、おそらく1900年に入る頃からではないか)学校が教育を主体的に運営する場だという考え自体が既におかしいのだ。それは国民の老後は国家が面倒を見ようというのと同じ。聞こえは良いが、不可能つまり綺麗事にしか過ぎない。そして、その理想(理念、幻想?)と現実のひずみ、ゆがみが子・親、そして、当の教師にも現れているというのが、実態なのである。学校は我々の生きる実社会とは違うルールで動いている。その思想的根拠になるのが、「人格形成としての教育」である。そして、本音は…。これ以上は書けない!常識力を働かせろ!

2008年07月05日

歴史よ、動け!

高校生のテスト対策授業が延々と続いており、明日も塾は開く。通信制高校部門では初の前期試験。中3生は面談、学年や部門が変わると本当に全く違う事をやる。合間に無人島キャンプの人集め。今年は~年ぶりに女性も参加し華やかなキャンプになりそう!今から楽しみである。また、バイクが復活したので晴れの時は基本バイク通勤。ただ、暑すぎて、気持ち良いのやら、良くないのやら。
さてさて、そんな日常に読んでいるのが、これ。内容のぶっ飛び度は半端じゃない。ただ、面白く、かつ学術的。最初に書いていた青森三内丸山遺跡の続きである。日本史・世界史両方の知識がいるため(私は両方分かる)大変難しく仕上がっている。勉強好きにはお勧めする。元来、学問とは常識の虚を突くもの。そういう意味では栗本慎一郎は日本で数少ない、読むに値する学者である。素晴らしい。

2008年07月07日

七夕に思う

今日は七夕という事で、我が塾にも短冊だらけの笹がお目見えして生徒たちがワイワイ言いながら願い事を書いている。私はこういう景色が嫌いではないので、せっせと短冊作りに精を出していた。皆、願い事がかなうと良いね。
※ちなみに私は本が売れますように、奥さん(&娘)は、健康と可愛くなる事と賢くなるように、願い事を書いていた。

2008年07月11日

痛快アクション;デスプルーフ

タランティーノとロドリゲスのWで作った「グラインドハウス」の内の1作、「デスプルーフ」を見た。相変わらずのダラダラ意味不明の会話で始まって中盤まで何も事件は起らない。中盤辺りから突然サスペンスに入り、一気に惨劇へ。そして、後半。激しいカーアクションと爽快な終わりっぷり。エンディングは思わず笑けてしまった。賛否分かれるだろうが、私は好きだ、と言うか結構ツボにはまった。特に後半の女性のバイオレンス・リベンジが面白い。古くはラス・メイヤー以来の展開。B級テイストあふれる愛すべき映画ではないか!作り手が楽しみながら作ってるのが、分かるもん。「プラネットテラー」も期待しよう。

2008年07月15日

嵐の前の静けさ

来週から怒涛の夏期講習会がスタート、例年になくスピーディーに準備が出来て、追加を「待ち」の状態に。昨日でとうとう「チェンジ」も終わってしまったが、何となくもう少し続けてほしかった感が残る。それにしても、キャラクターの問題なんだろうが、何とも最後までキムタク=善、寺尾聡=悪というかズル賢い政治家の典型という図式が鼻についた。世の中そんなに甘くないだろう?これがTVショーの限界なのか。それこそパイレーツ・オブ・カリビアンのキャプテン・スワローみたいなヤツ、つまり善か悪かよく分からないヤツ、が個人的にはやっぱり好みなんだがなぁ。
先日は二年ぶりにバイクでお出かけ。9号線から周山街道を巡って帰って来た。帰って、金魚の鉢を入れ替えて、チャイルド・シートの付け替え。田舎から義母が遊びに来ていたんだが、娘が風邪をこじらせていて外に出せる状態ではなかったので、家の中だけで接待。悪い事をした。世間は祇園という事で生徒(主として高校生達)が欠席している。まぁ、それも青春か。最後まで悩んだ末、結局i phoneを買わない事に決定。明日には買いに行く。ドタバタだ。

2008年07月17日

ネコが風邪ひいた?

娘の風邪が奥さんに移って僕にも移って、あげくネコにまで移った模様である。私は移ったと言っても何にも変わらないのだが、ネコの方はだいぶ重症である。私は大のネコフリークで、ミーちゃん(オスの3歳)の顔つきや声で調子が分かる(と思っている)。そのミーちゃんが昨日から食べては戻しを繰り返していて結局何も口にしていないとの事。昨日は私が帰っても尻尾すら動かさない(今日は動かしていた)。とりあえず明日の朝に医者に行って様子を診てもらう。
そうそう、前回i phoneを買わない事にしたの次の文で「i podを」という言葉が抜けていたので、意味不明な文になっていた。それでi podを買った訳だが、もう日々感動の連続、一気に30枚ほどお気に入りを入れて(当然二日では聞けない)持ち歩く事に。どこに行くにもi podという人の気持ちがよく分かる。私はCDはおよそ、200枚程度、アナログレコード100枚程度所有しているが、その気になればすべて入れてしまえる、つまり自分のCDライブラリーを持ち歩けるという本当に夢のような話である。本当に数年ぶりに見て録音した中からこの1枚。何と言ってもglobeの衝撃のデビューアルバム、今聞いてもやはり衝撃だ。

2008年07月19日

“グラインドハウス”見終えた

前回の「デスプルーフ」に続き、「プラネットテラー」を見た。こちらはロドリゲスのゾンビ物。片足マシンガールが大暴れする。色々突っ込み所はあるものの、今や大スターであるブルース・ウィルスまでちゃんとゾンビやってるんだからもう良いか、と言ったところ。どうぞ、お好きなように。でも、このB級ホラーへの“愛”、結構分かるよなぁ。正直言うと、好きだなぁ。

2008年07月22日

パンプキンヘッド!

モンスター系のB級ホラー映画。全体として「人を呪わば穴二つ」的な展開がそのままなのが、何とも当たり前であるが、全体的にはどうだろう?まずまずか。ただ、怪物、自分を蘇えらせた人(つまり、呪い殺そうとしている人)も呪い殺す相手もほとんど見境なく殺そうとするのが、何ともお馬鹿で、自分を蘇えらせてくれた人を間違って殺してしまうと自分も倒れるという、おいおいという展開。それでも、殺される側からすると「ヤツを殺す事は出来ない!」って、ウ~ン、ビミョウだと思うんだが…。

2008年07月24日

さらば、ミィちゃん

夏期講習会で朝から晩まで働き詰めの毎日が続いてた所に、ネコのミィちゃん(三才♂)が病気にかかり(腎不全)、毎朝会社に行く前に通院させていた。が、病気は回復せず慢性腎不全に悪化、本日夕方他界してしまった。人間で言うと30歳過ぎらしいが、まだまだ人生じゃなかった、ネコ生を謳歌すべきところを何とも運命の皮肉で、天に召されてしまった。先週来、覚悟はしていた事ではあるが、何とも悲しくまた寂しい。もうしばらくネコは飼うまい。
さらば、ミィちゃん。あの世でも楽しく僕のような飼い主を見つけて可愛がってもらえよ。さらばミィちゃん。いつまでも、君の事は忘れないよ。

2008年07月28日

ダイハードはやっぱりダイハードだった!

ホラー以外の映画を見るのは久しぶり。それにしても、面白い。娯楽映画の二大傑作は私の中では「インディー・ジョーンズ」と「ダイハード」。ブルース・ウィルスの体当たりアクションはいつも通りだが、そりゃないぞ!みたいな突っ込みを入れつつも楽しめる。(最後の戦闘機から落ちるシーン!それでも、見てると何となく大丈夫そうな気がしてくるのが不思議。でも、普通は確実に死ぬだろうなぁ)マクレーンの娘やFBI長官など「グラインドハウス」役者勢ぞろいなのも楽しめた。映画はこれでなくっちゃ!

2008年07月29日

レズ・ツェッペリンだぞ!

Zepのカバー・バンドとして女性四人でツェッペリンの曲+オリジナル2曲をやっている。偉大なるツェッペリンの再現+アルファーというとても高いハードルをまずまず越えているんじゃなかろうか。ボーナストラックとして入っている「レインソング」はそれなりに良く出来ていると思うんだが。ヤフーでは評価が分かれているが、まぁ、そう固いこと言わずに、裏でハイレグ水着の跡がローライズの上から見えているのが何ともセクシーで、良いじゃんか、これでもという気がするが…。バンド名もセンス良いし。

2008年07月30日

古き良きB級映画に乾杯!

最近になってやっと映画も見たので、しっかり読もうという事で、この講習のクソ忙しい最中に読み切った。古き良き場末の映画館、グラインドハウス。私自身も少々の経験はあるが、現在シネコン全盛の時代に何とも物足りなさを感じる感覚というのはつまりはグラインドハウス的だということなのか。世間は必死になって他人の悪事を暴きだしたがり、「不倫は良くないよ!」とか「社会的責任をどう思ってるんだ!」とか、他人を糾弾したがる。苦情が殺到した?一体、苦情を言うヤツがどんな迷惑を被ったというんだ?何度も書くが、それこそが“日本的いじめ”の構造なのである。良いじゃんか、少々失敗しても。「馬鹿なヤツだなぁ」で許してやれないような、悪事でもなかろう。
B級ホラーへの私の愛は限りなく現代の世相から遠ざかっていく。もっと、おっとり、のんびり、ちょっぴり怪しく生きようじゃないか。所詮人間なんて「パンツをはいたサル」なんだから。

2008年07月31日

ナショナリズムの行方

竹島の領有権に関してアメリカが韓国の主張を認めた。国家の成立要件である国土・国民・主権から考えるとこれは実際には日本国家に対する挑発行為な訳だが、どういう訳か、日本ではこれを契機に暴動が起こった等という話は出ない。戦後の日本が決定的に失ったものは「ナショナリズム」ではないか、公共心の欠如と言い、道徳、治安様々な表現がされるが、端的に言うと剥き出しの個人が自分の生活基盤を延長した先に国家を見ていないという状況なのである。だから、国民もマスコミも竹島問題よりも亀田問題に意見を言う。どうでも良いと私は思うが、どうでも良いというならどちらもどうでも良いという話になって結局気になることから優先的に言語化されてきたというのが、今の日本の姿だ。
何とも腑抜け、お人よし国家日本よ、おそらく環境問題などという実態のない問題に騒いでいる内に我々の子孫に残すべき最も大切なもの(生きる権利)すら近隣諸国に奪われるかもしれないのだ。
しかし、もう一方リバタリアニズムの視点で考えると、それほど日本は進歩してしまっているのかもしれない。もう、国などどうでも良い、自分と家族だけ生きていければ良い、そう思っているのかもしれない。実際リバタリアニズム的には国家など不要である。ついでに、役所などなくても我々の生活は成り立つし、正当な理由の税金など歴史上存在した試しはない。すべて国家的エゴによる搾取を正当化しているだけである。その視点からは竹島問題などまさにどうでも良いと言える。欲しかったらやれば良い。そんなつまらない事にこだわって有為の人材あるいは才能が停滞する方が国家的損失だとも言える。
夜が涼しくなってくると無性に勉強したくなってきた。
誰か海行かない?

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