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様々な思いが錯綜した日

久しぶりの日曜日らしい日曜日。昼から友人が本社を移転したという事で、お祝いのご挨拶に。そのままトンボ返りでスタジオ入り。約一月ぶりのバンド練習を終えた後、家へ。TVを適当に見ているとまぁ、色々な番組が相変わらずあるもんだ。中でもびっくりしたのが、熱帯まで行って可愛そうな動物を助けている人たちを撮っている番組。何が理由か知らないが、片耳がちぎれたゾウを助けるのをやっていて、最後にテロップで「このゾウもいつかジャングルに戻って幸せに暮らす事を祈って…」みたいな字が出てきた。(!)おいおい、動物に「幸福感」なんてないよ。誤解されないように書くが、「幸せ」というのは、「生の実感」を持てなくなった人類特有の幻想なんだ。そんなモノ、自然界にはない。そしてないのが健全なのである。動物たちは「あるがままに」生きている。「生きがい」も「孤独」も「自意識」もすべてヒトという種が言語を生み出したせいで持ってしまった一種の病のようなものなのである。何ともノー天気な番組だった。チャンネルを変えると「タイムマシン」という映画。これも何だか、モダニズムの臭いがプンプンする勧善懲悪ストーリーに辟易する。だから白人はダメなんだ。自分と異なるものに対する畏敬や畏怖の念がなさすぎる。
ただ、見ている時に思いついた事がある。今では残骸しか残っていない「社会主義」というのは、全く純粋で歴史を持たないヒトを頭の中で想定してそこからユートピアを導き出すと完全な平等社会が訪れるという観念に基づき生み出されたデストピアだったんだが、私に言わせればその端的な特徴は「幼稚」である事である。それに対して「自由主義」とは「自由」とりわけ「好奇心の自由」を称揚する。でも、よく考えるとこれも実は「幼稚」さに由来している。つまり、自分の好奇心を制御できない「ガキの思考」だという意味で。
社会とか歴史とかいったものは、どこまでも「蓄積」の所産なのだ。すぐに答えは出ない。現代科学の見果てぬ夢として描かれる「タイムマシン」とは結局の所、「時間の征服」(また、“征服”だ!)ヨーロッパ人という人種はどうしてこう、なんでも征服したがるんだろう。何千年もそのことによってどれだけ多くの血が流されてきたのかまだ気付かないのだろうか。映画の中では地底人が絶滅させられていた。理由は彼らが好戦的で醜く、自分の好みの女をさらったから。何とも浮かばれないよなぁ。
そのあと堂本兄弟で黒人の演歌歌手を初めて見てびっくり。
最後にワウワウで再び「シン・シティ」を見てやっと嫌な気分が回復の方向に向かった。もう、テレビ見たくない!

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2008年03月31日 22:51に投稿されたエントリーのページです。

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