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1980年代の光と影 2

前回紹介した講談社現代新書の「若者殺しの時代」の続き。私自身、作者とほぼ同時代を生きてきて、書かれている項目は当然すべて分かる。ただ、こういった社会科学的な本が主張しようとする生き方指南にはどうも付いていけない。理由は簡単で、現実はそうシンプルではないからである。例えば、「若者」って一体誰?携帯電話によって何か大きなものを失っているのははっきり言って少数派でしかないと私は思う。大半の人々にとって携帯は例えば洗濯機が便利になったということの延長線上の出来事でしかない。絵に描いたような恋愛ドラマに憧れるのは、一種の新興宗教にのめり込むタイプの人だけである。時代は劇的に変化したが、人間が劇的に変化した訳ではない。そう見えるのは、その人の立ち位置の問題なのだ。こういった本を読むと、唐突だが、渡辺美里の「born to skip」の歌詞を思い出す。「良い時代じゃないと、囁きかける人たち。僕たちは皆、この時代しか知らない。」いつの時代にも個人の一回限りの生は有限なのだ。様々な条件の変化・進化はあっても、人としての悩みのレベルがそれで変化することなどありえない。ゆえに、この本を読んだ最終の感想はこうだ。「逃げる必要なんて全くない。別に殺されるなら殺されれば良い。社会に生きるとは、昔からそういうことだったのだ。」
まぁ、時代の考現学としては意味があると思うが、それ以上の価値はあまりなかったなぁ。

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2007年02月03日 14:36に投稿されたエントリーのページです。

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